澄んだ目が印象的
 
 労咳の 目深々と 寒椿

 医師として重症結核患者、朝日茂さんを支えた水落理(おさむ)さん(86)が初めて朝日さんを診た時に詠んだ句です。

 「朝日さんは一見、弱々しく見えるけど、しっかりした顔つき。澄んで深々としていた目が印象的でした」


主治医に頼み診療

 朝日訴訟が国民的大運動へと発展したのは「原告・朝日茂さんの頑張りだ」と関係者は一様に認めます。
 水落さんは、朝日さんのすさまじい「がんばり」を目の当たりにした一人です。

 水落さんは当時、水島協同組合病院(現水島協同病院)の勤務医でした。
 主治医に朝日さんの診療をさせて欲しいと依頼。快諾を得て、病状が変わるたびに診察に出向きました。

火は消さない

 独身だった朝日さん。亡くなる直前、訴訟を終わらせないため、小林健二さん、君子さん夫婦と養子縁組の手続きをとりました。

 「たたかいの火は消さない」という朝日さんの強い意志が伺えます。

 養子縁組の書類を握らされた朝日さんは、意識が朦朧とするなか、「破れてしまうのではないか」と感じるほど紙に親指を強く押し付けました。

 握ったままの書類を離しません。

 水落さんと訴訟中央対策委員会の長宏事務局長の二人がかりでやっと、朝日さんの指を1本1本ほどきました。

肺は溶け、腸に穴

 1964年2月14日、養子縁組が済んで間もなく、朝日さんは死去。

 療養所で解剖が行われ、水落さんも立ち会いました。
 
 左肺は溶けてなくなり、膿の袋に。
 右肺に大きな結核の病巣。
 心臓はかなり肥大。
 小腸下部から盲腸結腸上部にかけて、10ヶ所もの穴が開いた汎発性腹膜炎が死因でした。

 汎発性腹膜炎はなぜ起こったのか。
 「全国を揺り動かすほどの運動を背負う使命感とストレスの連続が、腸に穴を開けたのです。

 水落さんは当初、「朝日さんは重症だから、途中で諦めるだろう」と思っていました。
 ところが朝日さんは最後まで肉体がボロボロにしてたたかいぬきました。

 「人間としてすごい行動だ」。
 水落さんは、感嘆の声を上げます。

赤旗日刊紙要約
10年10月22日

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